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  • OB・OGインタビュー

  • ブラジル / サンパウロ州

    大学教員

    山本 ロブソン 隆 さん

    筑波大学大学院
    生命環境科学研究科博士後期課程
    生物圏資源科学専攻
    2009年度修了

  • インド / ハリヤナ

    大手電機メーカー企画職 / 法務職

    北畠 未来 さん

    東京大学大学院
    工学研究科物理工学専攻
    2007年度修了

  • インド / ニューデリー

    国際機関職員

    神田 美希子 さん

    東京大学大学院
    医学系研究科国際保健政策学教室
    2016年度単位取得満期退学

  • アメリカ / ワシントンD.C.

    電力会社

    宮内 善浩 さん

    大阪大学
    工学部原子力工学科
    1997年度卒業

  • ドイツ / ハンブルク

    物理学研究所研究員

    川田 真一 さん

    広島大学大学院
    先端物質科学研究科量子物質科学専攻
    2015年度修了

  • ブラジル / ブラジリア

    在外日本大使館外交官

    稲葉 大樹 さん

    東京外国語大学
    外国語学部ポルトガル語専攻
    2012年度卒業

  • アメリカ / カリフォルニア

    ソフトウェア開発CEO

    荒井 真成 さん

    豊橋技術科学大学
    情報工学
    1984年度修了

  • ミャンマー / ヤンゴン

    大手製薬会社カントリーマネージャー

    池本 誠 さん

    岡山大学大学院
    自然科学研究科博士前期課程
    2003年度修了

  • ナイジェリア

    家電リユース会社営業職

    大熊 裕紀 さん

    東洋大学
    国際地域学部
    2014年度卒業

  • 中国 / 上海

    ホテル運営会社営業職

    矢部 哲生 さん

    立教大学
    社会学部
    2003年卒業

  • インドネシア / ジャカルタ

    総合商社営業職

    西村 彰人 さん

    立命館大学大学院
    理工学研究科修士課程
    2004年度修了

  • エチオピア / アジスアベバ

    国際協力機構

    神 公明 さん

    北海道大学
    理学部 生物学科植物学専攻課程
    1985年度卒業

  • ベルギー / ブリュッセル

    欧州委員会競争総局

    Simon VANDE WALLE さん

    九州大学大学院
    法学府博士課程国際コース

World Health Organization Regional Office for South-East Asia
Asia Pacific Observatory on Health Systems and Policies(APO)

Technical Officer

神田 美希子 さん

東京大学大学院 医学系研究科 国際保健政策学教室 2016年度単位取得満期退学、2017年1月保健学博士取得

PROFILE

学部卒業後3年間の大学病院勤務を経て、公益社団法人日本看護協会にて看護資格認定制度の運営と推進に従事。協会在籍中に国際保健に興味を持ったことをきっかけに、2011年、東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室に入学した。修士課程、博士課程を通して保健医療政策および医療保健人材について研究。現在は国連機関職員としてインドに駐在している。

国によって異なる医療保健人材への
考え方に衝撃を受け、
仕事に従事しながらの大学院入学を決断

大学で看護学を専攻し、卒業後は大学病院で3年間臨床の現場に携わりました。その後、公益社団法人日本看護協会で看護資格認定制度の運営と推進に従事。その際にアフリカの政府高官を対象とした研修でインストラクターを経験したことが、大きな転機に。看護師の継続教育に対する考え方や認識が国によって違うことに衝撃を受け、国際保健に興味を持つようになりました。協会に勤務する傍ら、2011年4月に東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室に入学。国際保健に携わるという修了後の明確な目標を持ち、自分の専門性となる知識と技術(分析・アセスメント能力、統計など)を身につけることに注力しました。また、修士課程と博士課程ともにインターンシップや各種セミナーなどに参加し、国際保健の場における経験や場数を増やすことに焦点を置いて過ごしました。

大学院5年間で培った英語力や
コミュニケーション能力が
国際機関で働くうえでの力に

大学院に入学するまでほぼ国内で過ごしてきたため、5年間を通して英語力の向上は大きな課題でした。所属教室の学生は半分以上が留学生で、講義、セミナーはすべて英語。恵まれた環境の中、指導教官の力を借りて修士論文と博士論文を英語で執筆した経験は大きな自信になりました。また大学のグローバルリーダー育成プログラムの受講を通して培った問題解決能力やコミュニケーション能力、リーダーシップは、現在私が国際機関で働くうえで大きく役立っています。グループワークやプレゼンテーション、ワークショップと多彩な授業形態で、さらに受講メンバーもあらゆる学部に所属しており、柔軟性や想像力が鍛えられました。

さまざまな国から職員が集まる
多国籍な環境では、
柔軟な考えと姿勢が求められる

現在はAPO(Asia Pacific Observatory on Health Systems and Policies)のテクニカルオフィサーとして、インドに赴任しています。主な業務はアジア太平洋地域48か国を対象とした各国の保健医療システムのアセスメント(評価)や、地域にみられる課題の複数国間の比較分析などをとおして各国の保健医療政策の策定に寄与するエビデンスの構築と、地域のキャパシティビルディングをサポートする、意義深い仕事です。職場はさまざまな国から職員が集まる、多国籍な環境。そのため日頃からコミュニケーションを密に図り、チームの一員として柔軟性をもって働くことを心がけています。同時に自分の意思や考えを通すか否か、自分の中で見極めることが大切です。

好奇心を大切に、
周囲に関心を持ち続ければ
行動の幅は世界へと広がる

グローバルに働くうえで大切なのは、自分の好奇心の先に何があるのかを見据えながら、周囲への関心を持ち続け、自分にできることは何かを考え働きかけていくことです。私が臨床の現場から看護資格認定制度の推進、国内保健医療政策の研究、国際保健へと自分の居場所を変えていったのも、自身の興味や関心が個人から集団、国、世界へと広がっていったからです。自分の好奇心が赴くもの、新たな場での出会いや気づきを大切にして、気になることは何でも調べ、探し、そして考えることがきっと将来につながります。

北畠 未来 さん

東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 2007年度修了

PROFILE

東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻修了。常に新しいことに興味を持ち、挑戦し続けたいとの思いから、研究職ではなく、パナソニック株式会社に就職。知的財産部門や法務部門など多様な部署を経て、自ら希望しパナソニック・インドへ出向。新規事業企画推進と法務職を兼務している。

フランスへの留学に挑戦したおかげで
海外でも自信をもって行動できる

好奇心を常に持ち続け、興味があることはとにかくやってみる。そんな私の人生に最も大きな影響を及ぼしている経験が、学生時代のフランスへの交換留学です。「将来は海外で働きたい」という思いが後押しとなり、留学を決意しました。大学で学んでいた外国語はドイツ語だったため、語学の面でもゼロからの挑戦でした。留学先の学校では、日本人は自分ひとり。そのような環境の中で、フランス人学生や様々な国から来ている留学生と積極的に交流し、切磋琢磨しながら研究をやり遂げたことが、現在海外で仕事をする際の自信につながっていると感じます。

興味をもったものを追い続けて
たどり着いたインド。
学生時代に身につけた力が原動力に

一度は研究職というキャリアを考えながらも、現在所属するパナソニック株式会社への就職を決めたのは、「常に新しいことができる」と感じたからです。最初に配属された知的財産部門の仕事をする中で携わった共同開発契約締結業務に興味を持ち、法務部門へ異動。海外業務もこなす中で、新興国の法規制・執行状況が面白く、自らも現場へ身を投じたいと思うようになり、インドへの出向を希望しました。現地では、法務に限らず幅広い業務を経験したいという意向を汲んでいただき、新規事業企画担当も兼務しています。インド市場に徹底的に向き合い、現地の社員の方々と協力して、新たな顧客価値創造に向けた事業アイデアの創出を進めています。
このように所属する部署や国内・国外に関わらず主体的に仕事ができるのも大学院時代の経験があったから。若手の先生が設立された研究室の一期生として、メンバーとともに研究室を作り上げていきました。自ら何をすべきか考え、日々の仕事に率先して取り組む能力が培われたのだと思います。

自分の無知を受け入れ、
感謝の気持ちを忘れないことが
自立への近道

仕事をする中で大切にしているのは日々助けてくれる周りの人々への感謝を忘れないこと。インドへ赴任した際には、日本国内での部署異動とは比べ物にならないくらい、無知を痛感しました。見知らぬ土地で、自分にとって初めての仕事に携わるという時には、現場に対する知見の深い現地社員をはじめとした周囲の方々の助けが必要不可欠です。自分に不足しているものをしっかりと認識した上で躊躇せずに助けを求め、感謝するという繰り返しの中で、学べることがたくさんあります。自分の能力を正しく把握し、貪欲に学ぼうとする姿勢が、新しい環境への適応、そして早い段階での自立を可能にするのだと考えています。

心がけや工夫次第で、
誰もが世界で活躍できる

「世界で活躍したい」という夢は、心がけや工夫次第で必ず叶います。重要なことは、ひるまず挑戦し続けることです。世界には自分の知らないことやできないことの方が圧倒的に多いです。そのような壁にぶつかったときに、柔軟に対応して状況改善や変革のための努力ができるかどうかがあなたの将来を左右します。大学には、社会で活躍するために必要な力を鍛えるのに最適な環境があふれています。自ら積極的に情報収集・行動し、有効に活用してください。

池本 誠 さん

岡山大学大学院 自然科学研究科 博士前期課程2003年度修了

PROFILE

大学院修了後、食品会社や香料会社で、研究開発部門やマーケティング部門などを経験。「健康にかかわる製品やサービスに携わりたい」と考え、2013年に大塚製薬に入社。2015年11月からミャンマーに駐在。カントリーマネージャーとして、現地のポカリスエット事業を担当している。

海外で仕事をするために意識しているのは
「自分の固定概念にとらわれすぎない」こと

ミャンマーにおけるポカリスエット事業を担当しています。現地のパートナーやスタッフの助けを借りながら、マーケティング、営業、人事や経理などの業務に関わっています。現地の方と働くうえで心がけているのは「自分の固定概念にとらわれすぎない」ということ。最初は、日本人の感覚との違いに戸惑いを感じましたし、それが原因で仕事がうまくいかないこともありました。ただ、ここはミャンマーで、日本ではありません。「彼らの感覚がズレている」のではなく「私の感覚がズレている」のです。
それに気づいてから、何かを説明したり依頼したりする時は、現地の常識と照らし合わせて、きちんと伝わる説明になっているかどうかをよく考えるようになりました。柔軟な価値観を身につけることが、海外で仕事を進めていくための第一歩だと思います。

ポカリスエットをミャンマーで普及させ
現地の人々の健康に貢献していきたい

長年食品業界にいる中で「健康にかかわる製品やサービスを提供することで社会に貢献したい」と考えるようになりました。現職に就いたのも、その想いがきっかけです。
ミャンマーは一年中暑く、3月~6月ぐらいまでは連日、気温が40℃を超えます。ポカリスエットを普及させ、現地の人が日々の生活をより快適に過ごしたり、熱中症を予防したりしてもらいたいと思っています。
そのためにもまずは「ポカリスエットをミャンマーで愛されるブランドにする」ことを目標に、日々の業務を頑張っていきます。

学生のみなさんには、
大学生のうちに海外に飛び出し、
異文化と積極的に
コミュニケーションしてほしい

海外で働いている中で、日本で働いている時よりも自分一人でできる事が限られている事に気づかされます。そんな中で成果を出すためには周りの人の協力が不可欠。自分のやりたい事、すべき事を周りのみんなに理解してもらう必要があります。言葉や常識が違う海外の人とそのようなやりとりをするのは簡単ではありません。今までの自分の常識が全て正しいと思わずに、周囲の状況を考えてしっかりと物事の本質をとらえることが大切だと感じています。
こういった経験は、私のように社会人になって海外に出なくても、学生時代から異文化に触れることで得ることができます。少しだけ勇気がいるかもしれませんが、海外での経験は大きな成長をするチャンスです。学生のみなさんには、大学に入って海外に飛び出せるチャンスがあれば、ぜひトライしてほしいと思います。

山本 ロブソン 隆 さん

筑波大学大学院 生命環境科学研究科(博士後期課程) 生物圏資源科学専攻修了

PROFILE

ブラジル・パウリスタ州立大学農学部を2000年に卒業後、ブラジル国内の種苗会社に就職。2002年から1年間、国際協力機構(JICA)の研修生として埼玉県農林総合研究センターでニホンナシ栽培の研修を行う。2005年から2010年にかけて筑波大学大学院生命環境科学研究科への留学。帰国後はペロッタス連邦大学での博士研究員を経て現職に至る。

これまでの人生でしてきた「挑戦」が
今の私を形作っている

パウリスタ州立大学(UNESP)を卒業後、海外で経験を積みたいという思いから国際協力機構(JICA)の研修に参加しました。学んだ技術を実家の農園経営に活かすことができるよう、ニホンナシの栽培技術が最も優れている埼玉県農林総合研究センターへ。1年間の研修を経てブラジルに帰国した後は、日本で身につけたことを活かすべくニホンナシ栽培に取り組みました。この日本での研修、そして自国での知識の実践を通してさらに研究がしたいと思うようになり、筑波大学大学院生命環境科学研究科への留学を決意しました。ただ海外の大学院への進学には不安も大きく、決して簡単な挑戦ではありませんでした。しかし、慣れない環境で様々な壁を乗り越えようと奮闘した経験、そして異なる文化との触れ合いによって得た新たな価値観は今の仕事をする中でも確実に活きています。

世界中で活躍する
友人たちとの研究を通して、
農家・生産者の役に立ちたい

現在はブラジルのサンカルロス連邦大学の助教として、学部・大学院の授業や研究の指導、企業や他の研究機関との研究計画の立案等を行っています。この職業を選んだのは農家である両親が経験してきた大変さや、農園を営むことの素晴らしさをより多くの人に知ってもらいたいと思ったからです。自分の経験、知識を総動員して日々学生と向き合っています。教え子たちには国内にとどまらないグローバルな視野を持ってもらい、将来に活かしてもらいたいと思っています。そのため、教壇に立つ際には自分の体験を積極的に伝え、学生の目を海外にも向けることができるよう意識しています。
今の私の目標はこれまでの人生で出会った世界中で活躍する友人たちと共同研究を実現することと、農家・生産者が活用できる実用的な研究に取り組み、栽培技術のさらなる発展に貢献することです。社会人として働くようになっても、持ち前のチャレンジ精神は健在で、迷った時や不安になったときは自ら掲げた目標を改めて思い出し、達成するために自分がなすべきことに一生懸命挑戦することを常に心がけています。

稲葉 大樹 さん

東京外国語大学 外国語学部ポルトガル語学科 2012年度卒業

PROFILE

2012年度 東京外国語大学 外国語学部ポルトガル語学科 卒業。自分が思い描く将来を実現できる職業として外交官を志望し、2013年4月に外務省に入省。国内での研修に続き、ブラジル外務省附属外交官養成所における在外研修を経て、2016年6月より現職。

日本の魅力を発信するため
日々の努力を欠かさない

現在、私は在ブラジル日本国大使館広報文化班所属の外交官として、ブラジルの方々に日本をより知ってもらい、より好きになってもらえるよう、日本文化をはじめとした日本の様々な魅力を日々発信しております。日本文化普及事業、日本語教育の推進、スポーツ交流、ブラジル人学生の日本への留学促進等が主要な業務ですが、これらの広報文化班の仕事だけを担当するわけではなく、ポルトガル語の専門家として要人の通訳をすることもしばしばあります。
文化・習慣が我々日本人とは全く異なる人たちと向かい合う職務なので、こちらの考え方を一方的主張するのではなく、常に相手の立場・目線を意識して物事を進めるよう心がけています。また、外国語でのコミュニケーションが仕事の核となるため、どんなに忙しくとも、語学の勉強は毎日欠かさず行っています。

自らを律し、弱い自分に打ち勝った経験が
仕事をする中でも大きな糧に

大学で身につけた知識や語学力が活かせること。世界を舞台に働けること。自分の業務を通して日本社会に少しでも貢献できること。毎日が変化に富んでおり、刺激的なフィールドで働けること。私が就職先に望んでいた、このような条件すべてを満たしてくれると感じたのが外交官という職業でした。ただ、その夢を実現するには外務省入省試験という大きな壁を乗り越えなければなりませんでした。他企業への就職活動を一切せず、ひたすら試験勉強に打ち込み、民間企業への就職を決めていく友人たちを目の当たりにしながら、常に不安と戦う毎日。「すべてを犠牲にして取り組んでいる試験に合格できなかったら、どうなるのだろうか」という悩みに押しつぶされそうになりながらも、やり抜くことができたのは応援してくれている家族や友人、そして外交官になると決めた過去の自分を裏切りたくないという強い信念があったからです。自分の夢と正面から向き合い、自らを律し、弱い己に打ち勝つことができた経験は現在の仕事を進める上でも大きな糧となっています。この日々があったからこそ今の自分があり、どんな問題に直面してもひるまず一歩踏み出せるのだと思います。

社会での仕事と大学での経験、
規模の差こそあれ、考え方は同じ

仕事の性質上、ブラジル政府要人と話すことがありますが、会話の盛り上げに役立つのは大学で触れたブラジル文学の話です。このような、仕事の文脈外での会話を通して、多くの方との関係を構築でき、結果的には仕事に資する人脈が広がりました。
また、サークル活動での同じ目標に向かって、他人との協力の下に物事を進めた経験も仕事を進める上での助力となっています。これまで総理大臣のブラジル訪問や、リオ2016オリンピック・パラリンピック等数多くの大規模行事に携わらせていただきましたが、行事の成功というメンバー共通の目標に向かって、与えられた役割を果たし、ものごとを作り上げていくという本質は規模の差こそあれ、大学時代にサークルで取り組んでいたことと同じです。

自分の夢と向き合い、
ためらわず踏み出すことが
納得のいく将来を手に入れる一つの近道

これから社会へ羽ばたこうとしている皆さんには、積極的に苦労をしてもらいたいと思います。明確な夢がある方はその実現に向けて、まだ目標がない方は目標を見つけ出すことができるよう苦労してください。学生時代に皆さんが悩み、苦しんだこと全てがその後の人生の糧となります。
そして、時間は有限であるということを常に意識して、毎日を過ごしてください。人は何かに挑戦しようとする時、一歩踏み出すのを躊躇ってしまいがちです。しかし、世界は待ってくれません。あなたが迷っている間にも、ライバルたちは一歩先を進んでいます。自分の夢と向き合い、恐れず、躊躇わず行動することが納得のいく将来を手に入れる一つの近道なのだと思います。私も負けないよう、立ち止まることなく進み続けていきます。
最後に、皆さんが有意義な大学生活を送られ、輝かしい未来を手に入れられることを心より願っています。

川田 真一 さん

広島大学大学院 先端物質科学研究科 量子物質科学専攻 博士課程後期 2015年度修了

PROFILE

2015年度広島大学大学院 先端物質科学研究科 量子物質科学専攻修了。学生時代から海外の学会等に積極的に参加し、経験を積む。現在は、高エネルギー加速器・高エネルギー物理学の研究所であるDESY(ドイツ電子シンクロトロン)に博士研究員として勤務している。

国内であっても、
海外であっても大切なのは
「日々の積み重ね」だと痛感

私は博士研究員としてDESY(ドイツ電子シンクロトロン)というドイツの高エネルギー加速器・高エネルギー物理学の研究所に勤めています。一つのことについて突き詰め、じっくりと考えるのが得意だった私にとって、研究者になることは早い時期からの夢でした。DESYには、今のグループのリーダーからの誘いがあり、就職を決めました。現在はアジア、ヨーロッパ、アメリカなど世界中の研究者が参画する将来計画「国際リニアコライダー」における物理の研究、特にヒッグスの物理とその精密測定に関する研究を行っています。様々な研究者と接する中で感じたのは、学生時代の経験や培った能力の重要性です。

結果を出すことにこだわった学生時代。
臆することなく海外に挑戦

学生の頃から「実績を積み重ねる」ということを意識していました。研究職に就くためには、学会での発表や論文の上梓など具体的な結果が必要です。しかし論文はそう簡単に上梓できるものではないため、私は学会での発表に注力しました。当然、結果を出さなければ発表もできません。学会での発表という目標を常に見据え、研究を進めていました。また、海外で行われる学会にも積極的に参加。大学院在籍時には海外の学会を5回経験しました。さらに、現在の職場であるDESYに1か月間滞在し、研究を行ったこともありました。この時の研究内容や学び、経験の全てが今の仕事に活きています。

過去の努力の積み重ねが今の自分を形作る

実際に海外の研究所で働いてみて、国内であっても海外であっても必要なものは共通していると感じています。一つは最低限の根性・精神力・忍耐力・体力のセット。これらを持ち合わせていなければ研究で結果を出すのは困難です。もう一つは自己アピール力。自らの強みを積極的にアピールし、顔と名前が一致した状態で覚えてもらうことが重要です。人とのつながりは、どのような環境であっても強力な武器になります。しっかりと自分を売り込み、得た人間関係は様々な場面で私を助けてくれています。そして最も大事なのが積極的なコミュニケーション。英語を話せない研究者はほとんどいませんが、文法の正確さや流暢さは人それぞれです。英語の上手・下手ではなく、伝えようとする気持ちをしっかり持つことが大事です。
これらの力は全て、学生生活の中で積み重ねてきたものの結晶だと思っています。目標をしっかりと持ち、そこに向けてコツコツと努力した過去が今の自分を作っています。今後も研究職としてキャリアをつなげていくため、努力を積み重ねていきたいと思います。

荒井 真成 さん

豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 修士課程1984年度修了

PROFILE

1984年度 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科修士課程修了。IBM社にて初期ThinkPad 700シリーズのプロジェクトマネージャーを務めた後、1995年に米国Intellisync社創業メンバーとして参画。プロダクトマーケティング担当副社長やアジアゼネラルマネージャー、インテリシンク・ジャパン社長等を歴任。Intellisync社のNokiaによる買収後はNokia Inc.にて日本・韓国担当副社長兼ゼネラルマネージャー等を経て、2007年にKii株式会社の前身であるシンクロア社を設立。ドコモやソフトバンクのオペレーターにサーバークライアント型ソフトウェアのソリューションを提供し、同分野では世界最高の2億ドル以上の収益をあげる。2010年に米国Servo Software社を買収し、Kii株式会社を創立、現職に至る。

大学の研究を通して得た力が
私の人生の中で最大の資産

大学時代は研究にのめりこみ、研究者としてキャリアを積むことも考えていましたが、諸事情により企業への就職という方向へ舵を切りました。私の新しい世界への挑戦はここからはじまります。最初の会社IBMでは、世界的大企業ならではの日本にとどまらないビジネスの世界観と、そのビジネスを構築し、具現化していくために必要な手法を学びました。IBMの持つ手法を論理的なモデルに再構築し、自分のスキルとして落とし込んでいくという点において、大学での研究経験が非常に役に立ちました。他にも理論的証明を研究する中で学んだ問題の本質の定義の仕方、その問題を解決するための論理的ステップ構築の考え方、実際に証明をやりきる根気は今でも仕事をする上の強みです。そして、やり終えた後の達成感は仕事のモチベーションにつながっており、これらの力は私の人生の中で最大の資産だと言えます。

新たな世界へのチャレンジが
自分の血肉となる

IBMで10年間働く中で、これまで出会ったことのないタイプの人たちとの交流も生まれました。中でも私を魅了したのはスタートアップ企業の人々。大企業では味わえないスピード感があり、まったく新しいビジネスモデルで市場に革新を起こすというダイナミックさに魅力を感じ、自分もやってみたいと思うようになりました。思い立ったが吉日で、シリコンバレーにてアメリカ人の友人とともにIntellisync社を設立しました。ここでも全く新しい世界への挑戦は続きます。資金を集め、会社を経営するということに対するチャレンジ。投資家・顧客・パートナーなどと適切なコミュニケーションをとり、納得させるということへのチャレンジ。多人種間で良好な人間関係を構築するというチャレンジ。そして、英語が話せないということに対するチャレンジ。私が初めて渡米した時のTOEICのスコアは400点以下でした。英語を話す能力も、仕事での挑戦を通して身につけた力の一つです。頭で考えているだけでは、このような血肉となる経験はできません。まずは一歩踏み出し、自分にとって新しい環境に身を投じることが大事だと思います。

仲間を信じ、共に作り上げた会社で
世界に進出

Intellisync社は拡大を続け、米国NASDAQに株式を上場し、従業員数が全世界で400名程度になった頃に、当時世界最大の携帯電話メーカーであったNokiaに買収されます。買収後はNokia Japanにおいて、カントリーマネージャー等を務めましたが、新たに会社を作り、育てていくということの魅力には抗うことができず、もともとIntellisyncにいた10人の仲間とともにKii株式会社の前身であるシンクロア社を設立しました。スタート時からのメンバー共通の夢は、全世界規模の会社にするということ。リーマンショック時に全世界が疲弊する状況を逆手に取り、2009年にシリコンバレーの会社を買収。一気にアメリカ、中国、ヨーロッパとビジネスを広げました。現在もCiscoなどから出資を受け事業を拡大しており、インドへの進出も果たしました。
このように様々な経験をする中で実感したのは、ビジネスは「人」だということ。会社を育てていく際には夢を大きく持ち、一緒にいる仲間を信じる、そして新しい仲間を引き込み、輪を広げるというプロセスを繰り返してきました。その仲間たち全員が持てる力を最大限に発揮できる環境、関係を構築することが成功の鍵だと感じています。今ではその仲間たちが日本、中国、香港、インド、シリコンバレー、スペイン、ドイツなど全世界で活躍しています。

  • Servo Software社買収の調印の写真
  • Ciscoの出資に伴う調印式
  • インド州政府との契約締結の調印式
グローバルを当然のことと捉え、
行動してほしい

若い皆さんにはグローバルを当然のこととして捉えてほしいと思います。インターネットが生活の一部となった今、部屋にいながらにしてグローバルであることができます。世界的なプロジェクトに参加することや、自分が開発したアプリなどを全世界に発信することも簡単にできるようになっています。私が大学を卒業した頃に比べて、グローバルに行動する機会は圧倒的に多く、また障壁も驚くほど少なくなっています。グローバルを特別なことと思わず、実際に行動してみてください。きっと新しい世界が開けることでしょう。

  • 全世界の社員を集めての全社ミーティング
  • シンガポールでのスマートシティのイベントでのパネルディスカッション

宮内 善浩 さん

大阪大学 工学部原子力工学科 1997年度卒業

PROFILE

1992年に大阪大学 工学部原子力工学科に入学。同大学学部を1997年度に卒業し、日本原燃株式会社に入社。放射性廃棄物処分施設の安全設計業務に従事する。2014年より電気事業連合会 ワシントン事務所に出向し、現職に至る。

大学で得た知識や技術を活かして
伸び盛りの会社を盛り上げたい

人とは少し違ったことがしたいと思っていた私が、進学先として選んだのが大阪大学工学部の原子力工学科。その後、社会へ出るにあたり、大学で得た知識や技術を活かせる就職先として原子力産業を選んだのは自然な流れでした。当時の日本原燃は再処理工場の建設フェーズで、成長途上にありました。これから伸びていく会社を盛り上げていきたいという思いから、入社を決意。最初の業務では、日本全国の原子力発電所から発生する低レベル放射性廃棄物の処分計画に従事することに。入社2年目にはウィーンの国際原子力機関に出張する機会もあり、世界中から集まる関係者の働く姿を目の当たりにしたことで、大きな刺激を受けました。この経験をきっかけとして、海外で働きたいという思いを強くしました。その後企画部門を経て、電気事業連合会ワシントン事務所に出向し、現在に至ります。主な業務は、日本のエネルギー政策と、それに対応した原子力発電を中心とした日本の電力産業の取り組みについての理解を醸成・促進するための活動です。他にも核不拡散に対する取り組み等を米国関係者との交流を通じてアピールするという役割も担っています。

学生時代に身につけた2つの資質、
「健やかな体」と「おおらかな心」が
私を助けてくれる

外国での生活は住み慣れた日本での生活とは様々な面で異なり、小さな差異がストレスにつながることもあります。ストレスを上手くマネジメントし、解消できる「健やかな体」と些細なことは気にしない「おおらかな心」の2点が海外で活躍するために必要な資質だと思います。私がこのような資質を手に入れ、海外で働けているのは学生時代のサークル活動のおかげです。多様な仲間との練習で、切磋琢磨しながら自然と身についた力に助けられています。
また、アルバイトを通して培われた「初対面の人を忘れずに記憶する」能力も、現在の仕事で大変役立っています。実際に働いてみて、アメリカのビジネスは人と人のつながりが果たす役割が日本以上に大きいと痛感。「コネ」を重視したネットワークにいかに入り込むかという、泥臭い部分が重要になります。そのようなフィールドで人を記憶する能力は、相手に好印象を与える第一歩として非常に効果的です。

自分を磨き続けることで
公私ともに充実した毎日を送りたい

今後は海外勤務の経験を十分に活かし、国際横断的なプロジェクトにも関わっていけるようになりたいと思います。また、語学力をさらに高め、通訳案内士の資格を取得することも目標の一つです。常に研鑽を積み、能力を高めていくことで公私に渡って充実した毎日を送りたいですね。

矢部 哲生 さん

立教大学 社会学部 2003年卒業

PROFILE

2003年に立教大学社会学部を卒業し、ホテルオークラ東京に入社。1年目はホテルオークラ東京のダイニングカフェカメリアのウェイターとして勤務。次年度からは営業部の企業担当営業を6年間にわたり務める。その後、旅行代理店担当営業を経て、ホテルオークラアムステルダム(オランダ)での海外研修を経験。2013年1月より現職に至る。

文武両道を貫いた大学在籍時の経験が
今の自分につながっている

人の喜びを自分のこととして感じることができる性格を活かしたくて、志望したのがホテル業界でした。中でも日系のホテルでありながら、独立系ホテルとして海外にも展開していた点に魅力を感じ、ホテルオークラへの就職を決めました。現在はオークラガーデンホテル上海に勤務しており、ホテル業務の中で唯一外回りの営業を主とする部署で、日系企業や旅行代理店をはじめとする日本マーケットを対象とした営業活動を担当しています。
大学時代は部活と学業を両立させることを目標に毎日を過ごしていました。特に語学に力を入れており、第2外国語の早期履修に加えて、必修ではない授業も積極的に受講していました。部活動の試合後にゼミの合宿に直行し、卒業論文の中間発表を行ったことも。このように何とか文武両道を実現できたのは、周囲の人々が支えてくれたからだと感じています。学生時代の友人たちの助けによって敷くことができたレールが、現在の私につながっています。

学生時代の「不成功体験」が
仕事を成功に繋げる原動力に

仕事をする中で私が大切にしている信条の一つが、社内の議論で遠慮せず必ず発言する、というものです。この心がけの原点は、大学時代の「不成功体験」にあります。所属していた部活動では、自主性がなく言われたことに従うのみで、自ら考え、学ぶ姿勢を持つことができていませんでした。そのため、結果が出ないことも他人事のようにしか感じられない時期もあり、今でも当時のことはすごく後悔をしています。しかし、この「不成功体験」が「今ここで主張しなければ、また後悔するかもしれない」と自分を奮い立たせ、発言する原動力となっています。主体的に考え、行動することができているのも学生の時の後悔があるからだと思います。

多様な価値観を柔軟に吸収して
新たな仕事にも挑戦していきたい

これからは今まで経験したことのない分野の仕事にも挑戦したいと考えています。先日、総支配人が日本人からオランダ人に代わりました。日系ホテルに所属しながら、欧米人の考え方・仕事の仕方を学べるまたとない好機だと捉え、まったく異なる価値観・仕事観を吸収することが当面の目標です。将来は、リニューアルオープンするホテルオークラ東京や新規ホテルの立ち上げに携わること、そしてアジアに続々と進出するホテルオークラへの赴任という大きな夢に向かって、努力を続けていきます。

大学の海外プログラムを通して
実際に世界を「体験」してほしい

今、高校生・大学生の皆さんは私たちの世代よりも、インターネット等を通じて世界をずっと身近に感じている世代だと思います。そのような時代に生きるからこそ、ネットやメディアでは触れることができない、現実の「世界」を若いうちから体験してほしいと思います。大学の海外プログラムには世界中の大学生たちと交流し、議論を戦わせることができるチャンスがあふれています。学生時代に積んだ経験は、きっと強力な武器になります。

西村 彰人 さん

立命館大学 理工学研究科

PROFILE

立命館大学理工学研究科修了。「日本ならではの技術を海外や発展途上国に届け、役立てたい」という思いから、技術職・研究職ではなく総合商社の三菱商事株式会社に就職。国内の発電プラント事業に従事した後、入社9年目よりジャカルタに赴任し、新規発電プロジェクト開発に携わっている。

日本の技術を海外に届けるため、
総合商社の扉を叩く

大学在学中は理工系を専攻し、1年間の海外留学を経験したこともあり「将来は研究職や技術職に就いて海外で働きたい」と漠然と考えていました。ですがいざ就職活動を始めると、毎日研究室や工場で働く自分の姿がイメージできませんでした。最終的には「日本ならではの技術を海外や発展途上国に届け、役立てたい」という思いに行きつき、総合商社への就職を決めました。
入社してからは日本国内メーカー工場向け電気・蒸気供給事業、国内電力会社原子力発電所向けアフターサービス事業など発電プラント関連の事業に従事してきました。入社9年目からはジャカルタに赴任し、現在の仕事である新規発電プロジェクト開発に携わっています。経済発展に伴い急速に増加するインドネシアの電力需要。その要望に応えるため、現在は大型ガス焚火力発電案件を中心に取り組んでいます。

国の将来の絵姿を見据えながら
'Hospitality'の精神で商談を進める

仕事をするうえでは、「自分は外国という他人の庭で仕事をさせてもらっている」ことを忘れないようにしています。また、電力プラントは国の礎となる重要なものです。目先の利益を追うだけでなく、「将来のその国の絵姿として何がふさわしいだろうか」という中長期的な観点から顧客と話をするように心がけています。世界各国の企業が注目し、アプローチを進めるインドネシア電力マーケット。そんな中で日本企業の大きな強みの一つは心の通った'Hospitality'だと信じており、このモットーを胸に商談を進めています。

タイトなスケジュールの中で見聞を広げ、
好きなことを追求した学生時代

大学の授業や研究スケジュールは、理工系ということもあってとてもタイトなものでした。ですが自身の見聞を広げ、好きなことを追求するために留学プログラムへの参加や英語サークル、バレーボールとさまざまな活動に打ち込みました。現在私が働いている環境は、「組織の中で自分の役割を理解したうえで、周囲との情報共有や協力を図りながら、チームとしてのパフォーマンスを発揮すること」が常に求められます。周囲と関係を築く協調性や苦しい場面でも諦めない忍耐力、そしてハードな毎日を乗り切る体力など、学生時代の活動を通して培った力は海外で働く今にも生きています。

各国が自国外へ進出する今日、
日本ならではの価値あるものを届けたい

将来の可能性に満ちあふれたインドネシアのインフラ開発に携わる今の仕事は、想像以上にやりがいのあるものでした。同時に考えさせられるのは「世界で活躍できる日本人」、「世界と闘える日本人」の必要性です。海外進出なくして成長がないとも考えられる昨今。アメリカやドイツ、フランス、韓国等の先進国に留まらず、中国やインドといった成長国も優れた人材や資源を次々にインドネシアマーケットに送り込んでいます。日本が過去何十年もの時を経て育んできた技術や製品、そしてサービス。日本ならではの価値あるものを、これからも必要としている人々へ届けていきたいです。

大熊 裕紀 さん

東洋大学 国際地域学部 2015年度卒業

PROFILE

中学生のころから国際協力に興味を持ち、東洋大学国際地域学部国際地域学科(2017年度より国際学部国際地域学科に改組)に入学。
大学では杉田映理准教授のゼミに入り開発人類学を学ぶとともに、ウガンダ、フィリピン、バングラデシュ等に赴き、現地でフィールドワークを経験。ビジネスを通じて途上国の方々の暮らしに貢献したいと考え、中古家電・中古自転車輸出事業を行う株式会社浜屋に就職。

大学時代、ゼミでウガンダを
訪れたことがきっかけで
途上国に対する想いが
日増しに強くなっていった

大学時代は、開発人類学を研究するゼミに所属していました。特にウガンダでのフィールドワークに注力。準備段階では、フィールドワークで現地の方々に質問する内容を考察しました。その際、この質問は相手に敬意を払っているか、先入観が隠れていないかなど、細かい点までゼミのメンバー同士で考えを巡らせました。自分のアイディアを多方面から捉えて考え直す機会が持てたことで、相手が自分の言葉をどのように受け取るのかを一度推測してから話す習慣がついたと思います。
実際に現地に赴くと、「豊かさ」の概念も国や地域によって違うという事実に気づきました。学校や病院の数など、日本は確かに物質的に豊かですが、ウガンダには日本にないものがありました。日本で暮らす私たちは一日にこんなに笑っているだろうか、家族と過ごす時間を大切にしているだろうか、目の前の相手のことをこんなに想う瞬間が何度あるだろうかと、考えさせられてばかりでした。
こういった自分の価値観が逆転するような経験を積む中で「途上国にビジネスで貢献したい」という想いが強まり、現在の職業を選択するに至りました。

海外営業として、遠く離れた国・地域の
お客様とやりとり。
現地のニーズをいち早くつかみ、
ビジネスに展開する

株式会社浜屋は、中古家電・中古自転車を海外に輸出する事業を行っています。私は海外営業として、アフリカ全域・ベトナム・カンボジアを担当しています。日本から商品を輸入したい海外のお客様とやりとりするのが主な仕事です。販売する商品の相談や決定、手配から、現地到着後の段取りまで、一連の販売の流れをマネジメントしています。そのため、海外出張も多くあります。担当地域のお客様を訪問し、実際に商品が販売されていく様子を確認します。出張の際に供給が追い付いていない商品や現地に足りていないものを見つけ出し、それらを新商品として販売を開始するケースもあります。
現地の情報をお客様から集め、実際の取引に反映させていくことも重要な仕事の一つです。マーケットは常に変化するので、時々刻々と人気商品や適切な商品価格が変わります。現地の事情に合わせて販売価格や仕入数をコントロールし、お客様と継続的なお取引ができるよう調整も行っています。遠く離れた国・地域のマーケット情報をいち早く掴むため、お客様とのコミュニケーションを密にとり、気になった点があればすぐに訊ける関係を築くことが海外営業に一番重要な仕事かもしれません。

神 公明 さん

北海道大学 理学部 生物学科植物学専攻課程

PROFILE

北海道大学理学部生物学科植物学専攻課程修了。1986年に特殊法人国際協力事業団(現・独立行政法人国際協力機構)に入団、さまざまな開発協力プロジェクトに携わる。エチオピアへの勤務期間は通算10年に及び、その間農村における給水プロジェクトや農業技術の普及プロジェクト等の運営管理に従事してきた。

海外で人と人をつなぐ仕事に
携わりたいという思いからJICAに入団

大学時代に休学をして海外を旅した経験があり、色々と困難に直面した際に多くの人に助けてもらいました。この経験から海外で人の役に立つ仕事、人と人とをつなぐ仕事、助けてもらった借りを返せる仕事をしたいと考え、JICAに入団しました。これまでに、海外事務所では農業や給水事業、教育、産業振興などに係るプロジェクトの実施を支援する業務を担当。また本部では同様のプロジェクトの管理や海外技術者を招へいした日本での研修業務に携わりました。通算で10年におよぶエチオピア勤務では、農村における給水プロジェクトや農業技術の普及プロジェクト、製造業における生産性向上技術であるカイゼンの普及、道路や橋などのインフラ整備、教育、保健などを担当・監督したほか、青年海外協力隊事業にも関わりました。

考えが違うのは、
物事を違った角度から見ているから。
複数の視点を組み合わせれば
立体的な理解が深まる

国際社会の中では、意思疎通はできるだけ分かりやすく、また背景にある要因も含めて説明する必要があります。なぜなら私たちが持つ知識はそれぞれの人の経験やこれまで身を置いた環境に基づいて構成されていて、違った環境で育った人や経験を共有していない人々には理解できないことがあるからです。また知識や認識の違いは、どちらかが正しいというよりは、同じものを違った角度から見ているために生じることが多いです。そのため、自分とは違う考えを拒絶するのではなく両者の認識を組み合わせることで、より立体的な理解が深まると考えています。

これまでの実績を整理、分析することで
日本の技術協力の改善を

農村で生産性を向上させるための技術や給水施設を維持管理するための組織など、開発援助の現場で蓄積される知見を丁寧に収集し、体系立てて整理することに日頃から努めています。これらの知見をできるだけ多くの人、特に外国人と共有することで、日本が行っている技術協力の考え方について、世界に広く発信したいです。また知見を整理するだけでなく、日本の援助の良いところや不十分なところを率直に分析し、今後の改善に貢献したいと思っています。

自分自身の価値基準を持って
国際社会を生き抜く

日本では所属する組織や社会の価値基準によって物事の優劣が決まることが多くありますが、海外では自分が何を主張し、何をつくり上げたかが重要となります。日本の社会が持つ組織への忠誠心や労働慣習、そこに存在する暗黙のルールや空気は、海外ではほとんど共有されることはありません。そのため日本の組織の中では高い能力を発揮していた人が、一人ではなかなか活躍できないといったことが国際社会では往々にして起こります。自分が何を主張しどんな行動をとるかは自分次第。日本人であることの誇りを胸に、自分自身の価値基準に従って柔軟に国際社会を生き抜いていける、そんな人がたくさん出てくれば、日本の未来は明るいと思います。

Simon VANDE WALLE さん

九州大学大学院 法学府博士課程国際コース

PROFILE

ベルギーでのロースクール時代に日本の法律に触れたことをきっかけに、九州大学大学院法学府修士課程国際コースに入学。修士課程卒業後は国際法律事務所で数年間弁護士としての経験を積み、2008年、九州大学大学院法学府博士課程国際コース入学。その後日本学術振興会特別研究員を経て現職に至る。

世界中から集まる教授や学友から
多様な見方を受け入れる姿勢を学ぶ

私はベルギーのルーヴァン・カトリック大学で法律を学びました。ロースクール最後の年に日本の法律に触れ、興味を持ったことをきっかけに九州大学の大学院に入学。九州大学は英語プログラムを持つ数少ない日本の大学の一つで、基本的な日本語は話せるものの論文を書けるだけの力がまだ足りなった私には理想的な大学でした。九州大学で修士号を取得した後は、さらに英米法を学ぶためにジョージタウン大学法科大学院でも修士号を取得。弁護士試験合格後はブリュッセルの国際法律事務所で数年間弁護士としての経験を積み、2008年、博士号を取得するために再び九州大学を訪れました。大学院では世界中から集まった教授や学友たちに、自分の研究を定期的に発表する機会がありました。自分では考えもしなかった新しい見方や批評を得られる経験は、とても充実したものでした。問題にはたくさんの見方があること、そしてどんな時も様々な見方を受け入れるべきであるという姿勢は、大学院での経験から学んだことです。

企業が平等かつ公正に
競争できる環境づくりに従事

現在は、欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会に勤めています。委員会はいくつかの局に分かれおり、私はその中で競争総局に所属。競争総局では日本でいう独占禁止法にあたる競争法を執行し、企業が平等かつ公正な競争ができるようにしています。私は審査官として、競争法侵害の調査を担当しています。大学院時代の博士論文では競争法について執筆したので、関心のある分野を競争総局の仕事でも続けられています。

人と人をつなげる最良の方法は
現地の言葉を学ぶこと

海外で働くうえで最も大切なことは、できるだけ早く現地の言葉を学ぶことです。職場で誰もが英語を理解できるとしてもなお、現地の言葉を学ぶべきです。なぜなら、その土地に暮らす人々が手にする新聞を読み、観ているテレビに親しみ、使っている言葉で会話をすることが、人と人をつなげる最も良い方法だからです。言語能力の次に求められるものとしてはITや統計、物理など普遍的なものが挙げられますが、人それぞれ、海外で何を達成したいかによって異なるでしょう。私はその中から、国際キャリアを歩む基礎として法律のスキルを身につけました。

海外で経験する困難は、生活や仕事を
退屈しないものにしてくれる

海外に出ると、困難に出くわすことも多くあります。買い物や病院に行くような基本的なことでさえ、難しく感じることでしょう。ですが、それを冒険と捉えてみてください。海外で経験する困難は、生活や仕事を退屈しないものにしてくれます。鈍感さも、何事にも動じないという意味では必要な資質の一つです。自分がたどり着くべきゴールを定め、途中でそれを調整することを恐れずに歩んでいってください。